今日は親父の電話に起こされました。
『おじいちゃんが亡くなった』と。
おじいちゃんは梨を作ってる人でした。
もくもくとトラクターに乗って毎日畑に行くのでした。
畑の手入れをキレイにして仕事が大好きな人でした。
おじいちゃんの梨は『幸水』という銘柄が僕は一番好きでした。
幸水。
読んで字のごとくかじれば幸せな甘い水がでてくる梨でした。
そんなおじいちゃんに少しづつ影がさしてきたのはきっと僕がこっちに来てから。
つまり5年前くらいからです。
痴呆症の症状が少しづつ出てきていました。
ある日、おじいちゃんはトラクターでいつものように畑に向かいました。
ところが帰り道、何十年と通ってきた道で道に迷ってしまいました。
それからおじいちゃんはトラクターに乗れなくなりました。
それでも歩いて畑に向かっていたおじいちゃんですが、2年前に倒れついに老人ホームに入ってしまいました。
おばあちゃんは泣いていました。
『おじいちゃんがあほになってしまった』と。
老人ホームにいたおじいちゃんはすごい小さくなっていました。
おじいちゃんおばあちゃんだらけの空間にとけ込んでいました。
ぼけっとテレビを見ていて、僕が来ても誰かわからない様子で涙がでました。
それと同時に老人ホームという空間にどこかさびしさを感じました。
それが2008年の冬。
そして2009年の冬。
僕が最後に会いに行った時おじいちゃんはお風呂に入っている途中でした。
あいかわらず体は小さかったですが、はっきりとした声で
『健太郎か?』
と言ってくれました。
僕は少し嬉しくなりました。
それが僕が最後におじいちゃんと会った瞬間になりました。
僕は幸運なことにこの年まで父親の両親も母親の両親も4人とも元気に生きていました。
祖父母を亡くすのははじめてのことです。
僕はじいちゃんの死に目に会えませんでした。
お葬式にすら出れません。
こういう時、自分が海外にいることが痛いほど伝わって来ます。
海外で勉強して、仕事して、波乗りして、何がやりたいのか悩んで。
今考えれば毎日があっという間に過ぎての5年間でした。
それは充実してるってことかもしれません。
でもどこか自分は、日本の家族たちの時間と自分の時間を切り離して考えているようでした。
僕は今楽園にいる。と。
僕は今精神と時の部屋のような空間にいる。と。
時間の流れが遅いどこかにいるのだと。
でも僕の家族も、おじいちゃんもこの5年、僕がこっちにいて過ごした時間と同じだけの時間を過ごしてきたのです。
時間は平等だから。
僕が自分は成長してる、と思っている間
きっとおじいちゃんは色んなことがわからなくなっていって、色んな思い出を頭から失っていっていた。
おばあちゃんと結婚した時とか
僕を冬に湖に連れてってくれて白鳥にパンをあげたこととか
仕事のあとに飲むビールの味とか
梨を出荷する手順とか
寒風摩擦しててそのおかげで風邪は引いたこともないと、僕と親父に自慢したこととか。
色々です。
僕は今実家には帰れません。
色々なことを終わらせないといけません。
だから僕はこっちからおじいちゃんの冥福を祈ります。
そしてこっちでやることを全部がんばってそれを天国のおじいちゃんに見せることが僕の今できることだと思います。
おじいちゃん、天国でも幸せにね。
2009年8月11日火曜日
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